エッセイ「シルクロードを行く」

民族の十字路(1)

2003/09/01更新

中国西域地方は、行政上は、新彊ウイグル自治区と呼ばれています。この西域地方のシルクロードを訪ねる為に、飛行機は1978年8月16日、北京を飛び立って、黄河に沿うてその上空を蘭州へ。蘭州から酒泉上空に出て、ここからゴビ砂漠の西端の縁に沿うてその上空を新彊ウイグル自治区の省都ウルムチに向かって飛びます。
ここウルムチは新彊ウイグル自治区第一の大都会で、人口約100万、政治産業経済の中心地で、かなりの賑わいを見せていますが、このウルムチが、都市の機能を持つ様になったのは、明治の初期の頃で、歴史が浅く、従って見るべきものはあまりありません。ただ、ここの博物館には、西域の古代シルクロードから発掘された出土品が納められ、是非見たい所です。到着したその翌日は、ウルムチ博物館をはじめ、ウルムチ市内の最近出来たカシミヤ織りの工場や絨毯工場、玉の加工場等を見学し、その夜はウルムチに1泊し、明日からいよいよ天山南路のシルクロードの旅に入る事になります。翌朝バスで天山山脈を横断してトルファンへ。天山山脈を横断してと言えば大層に聞こえますが、実際には東西2000キロメートルに及ぶ天下の険といわれる天山山脈も、その山系と山系の間の鞍部を抜けると、案外楽に越せる所が数カ所ありまして、このウルムチ~トルファンルートもその一つです。


昔はラクダで7日間の行程といわれましたが、今は車で4時間もあれば楽に越える事が出来ます。このトルファンは、タクラマカン砂漠の東の端にその付録みたいにくっついている小さな砂漠の盆地で、ここは海面下145米の低地にあって、陸地では世界で一番低い所だと言われています。ですから、ウルムチからこのトルファンに行くには、ウルムチから達坂峠まで、 (達坂とは坂が達する、つまり“峠”という事ですから、重箱読みで峠峠という意味になります。現地の言葉で、ダワンは峠で、“ダワンダワン”と呼ばれています。) このダワン峠までは、ゆるやかな上り道を一時間半余り走り、ダワン峠からは、天山山脈の中の山系と山系の間の渓谷に入り、そこを流れる渓流に沿うて、カーブの多いかなりの急坂を一気に駆け下る事になります。
一時間少々で渓谷を抜けると突然眼下にトルファン盆地が開け、累々と褐色一色の砂礫に覆われた“ゴビ灘”半砂漠が茫々と広がって見えます。このトルファン盆地は、地形が“摺鉢”みたいになっていて、その摺鉢の底に向かって走り下る事になりますので、渓谷の下り坂がそのままトルファンへ続き、1時間半近くで、青々と茂ったポプラの砂防林に囲まれたオアシスの町トルファン県に着きます。私はさっきこのトルファンは世界一低い所だと言いましたが、トルファンにはもう一つ世界一がありました。それは、世界一雨の少ない所という事です。
年間の平均降雨量が僅か12~3ミリ、多い時でも20ミリ前後と言われて、雨らしい雨は殆ど降らないのです。たとえ雨が降っても乾燥がひどいので、雨が地面に届く前に蒸発してしまいます。現地では、これを乾雨と呼んでいますが、この様な事で乾燥がひどいものですから、トルファン盆地では遺跡から掘り出される出土品は変質せず、元の姿のままで発掘されます。アスターナ古墳という昔の古い貴族の墓に参りますと、夫婦のミイラを一対、地下の土間の上に筵を一枚敷いただけで、無造作にゴロンところがしてあります。それが、全然変質しない、痛んでないのですね。砂漠の地下が完全な保管庫になっていて、私共のぜに屋本店の質倉とランク付けをするとどちらかなあ…と時々思う事がありますが…。このトルファン盆地はこの様な乾燥地帯で、生活用水は今でも“カレーズ”という砂漠独特の地下水溝に頼っています。
このカレーズという地下水溝は、イランで始まり、中央アジア (特にアフガニスタン) を経て、トルファンに伝えられたと言われますが、イラン高原ではカナート、アフガニスタンではカレーズ、中国に来ると坎児井 (かんあるちん) と呼ばれている様です。珍しいので、このカレーズの構造について簡単に説明を致しましょう。 (図1参照)
これはカレーズの断面図です。この右側の山は万年雪を頂いた天山です。これが雪解けの水が地下に溜まった水源です。この水源を探り当てるのが一番骨の折れる仕事で、古典的な技術と勘に頼る外ないと言われます。その古典的技術と勘によって、ここがどうも水源らしいという事になると、50~60メートルの立井戸を掘り、これが一発で水源に着到すれば、後はしめたもので、20メートルくらいの間隔に立井戸を掘り、その立井戸を次々に地下で結んでいき、それに水を流す仕掛けになっているのです。どうしてこういう手間暇のかかる事をするのかと言いますと、砂漠地帯はそれこそ正に砂地です。ですから、地面に溝を通して流すと、水がどんどん砂地に吸い込まれる、その上乾燥がひどく、蒸発するので、水量がどんどん減っていく。それだけならまだよいのですが、砂漠地帯は大体において、地質がアルカリ土壌で塩分が多いものですから、地下にもぐった水が、この地下の塩分を取り込んで、毛細管現象を起こして、再び上昇して流れに入ります。これを繰り返して流れるうちに、下流になればなる程塩分が濃くなって、集落に着く頃には使いものにならない。こういう事で、長い間に人間の生活の知恵が、カレーズという地下水溝を生み出したのでしょう。昔はこのカレーズを制した者が、その地域のオアシスを支配したと言われるくらいオアシスにとって、カレーズは正に命の綱だったのです。
このトルファン盆地には、高昌故城趾、ヴェゼクリク千佛洞、アスターナ古墳という様な有名な仏教遺蹟がありますが、壁画、その他出土品の目ぼしいものは、殆ど盗掘されて、外国に持ち出されているという事ですが、それでもここの博物館には、現地からの色々な珍しい出土品が展示されており、一見に値します。又、史蹟としても、漢朝時代から中国の最前線基地が置かれた、交河古城趾があります。交河とは、交わる河と書きますが、大きな二つの河 (今は流れが少ないのですが) その合流する地点が、三角形の高い台地となっていて、難攻不落の要害です。従って早くから中国と匈奴、突厥 (トツタツ) の様な遊牧騎馬民族との間に、絶えず争奪戦が展開された所です。又、この要塞都市は、彫刻して造られた都市として知られ、台地から掘り出して造られた珍しい彫刻の都城です。その外玄奘三蔵法師ゆかりの高昌故城の廃墟が、西遊記でおなじみの孫悟空の活躍の舞台となった火炎山をバックにして、荒涼とした広がりを見せています。このトルファンは、中国では高昌国と呼ばれてきましたが、紀元498~640年まで140年の間、麹氏という漢民族の王によって支配され、仏教が非常に栄えた所として知られています。特に629年、経典を求めてインドに渡る為に、国禁を侵しひそかに玉門関を抜け出し、莫賀延磧という、砂が風と共に川の様に流れるところから沙河、又は流砂と呼ばれるこの難所を道に迷い、危うく一命を落とすところを胡人から購った年老いた赤毛の馬に助けられて、九死に一生を得てようやくの事、伊吾国に辿り着きました。たまたまこの伊吾国に隣国の高昌国から使節が来ていて、是非我が国に立ち寄る様にと乞われて、高昌国に立ち寄る事になります。


 高昌国の時の国王、麹文泰は熱心な仏教徒で、玄奘の高名はかねて聞き及んでいて、玄奘に出会って一目ぼれしたとでもいうのでしょうか。是非我が高昌国の国師として、自分を始め、この国の数千人の法師達を導いてくれる様にと執拗に求めますが、玄奘の天竺行きの決意は固く、国王の願いを断ります。麹文泰は止む無く、せめても自分と義兄弟の約束をしてインドからの帰りに、ここに立ち寄り教えを説く様に頼み、玄奘もそれを聞き入れて麹文泰に別れを告げ、天竺に旅立ちます。
玄奘三蔵は、16年余りに亘るインドでの修行の末、訳経者としての不滅の名声を得る事になりますが、この天竺行きの費用は、全てこの高昌国王麹文泰が調達してくれたのです。高昌国王麹文泰は、玄奘にとって、正に大壇越、大恩人です。ところがこの国は、玄奘がインドから帰国する2年前皮肉にも唐朝の為に滅ぼされる羽目になるのです。オアシス国家は、常に中国と遊牧民族との間にあって、どちらとも、つかず離れずの状態の中で、程よくバランスを保ち、国の安定を図らねばなりません。一寸でもこのバランスを間違えると、どちらかに滅ぼされる事になるのです。正に風前の灯火 (ともしび) です。高昌王は、このバランスを間違い、唐朝から滅ぼされる運命になったのです。砂漠のオアシス国家のはかなさが痛いほど感じられます。このトルファンに3日間滞在して、再びウルムチに帰り、翌日飛行機でウルムチを立って、カシュガルに飛ぶ事になります。双発プロペラのアントノフ24型旅客機は、ソ連機で48人乗りの定期便です。エンジンをフル回転して、天山山脈の上空を尾根すれすれにコルラ上空に出ます。
このコルラ上空から機首を右に向け、古代シルクロードに沿って、その4000メートルの上空を西へ、カシュガルに飛ぶのです。進行方向の向かって左側は、一度入ったら生きて再び出られないという、死の砂漠を意味するタッキリマカン即ちタクラマカン砂漠が、茫漠として果てしなく広がり、右手は天山山脈の山裾が風化の為に崩れ落ち、50~60メートルの切り立った断崖となって、白い肌をあらわにして砂上に直立し、その足元の崩れ落ちた砂は、そのままタクラマカン砂漠となって広がり、その砂漠の中を古代シルクロードが黒い一本の帯となって、西へ西へと一直線に走っています。いわゆる、天山南路即ち往年の西域北道です。飛行機は、このシルクロードに沿って、砂塵に煙るその上空を、悪気流の為、左右に大きく揺れながら、亀茲の楽 (がく) で知られ、仏教遺蹟としても有名なクチャ上空を飛び、3時間余りでアクスに着きます。このアクスというのは、アクは白、スウは水という意味で、“白い水”という名の地名です。アクスダリアという大きな川が流れていますが、地質が石灰分が多く、それを溶解して流れますので、川の水が白く濁っているところから、白い水 (アクス) と呼ばれるのです。
この辺りは、天山山脈の氷河や雪解けの水が、一番多く集まって流れる所ですが、砂地の為にかなりの水が一旦地下にもぐる。 (現地では、これを伏流と呼んでいますが) 地下で弱い砂の部分を押し流すので、至る所陥没が起こり、飛行機から下を見ますと、大地震があった後の地割れを思わせる。その地割れしたズタズタに引き裂かれた黒い大地が、果てしなく広がっているのです。あの中に落ちたら、一巻の終わり、地獄そのものを思わせられ、思わず鳥肌が立ちます。一旦伏流し、地下にもぐった水は、再び100キロメートルも先の地上に現れ、湖沼地帯を造っていると聞きます。アクス飛行場に降り立って、北方に目を向けると、天山山脈が天空に白銀を輝かせて、その偉容を見せています。中でも、一際気高く、神々しいまでに聳え立っている一群は、天山の主峰、7000メートルのハンテングリの峰々でしょう。下を見れば地獄、上を仰げば天国、正に天国と地獄の様相です。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。