エッセイ「シルクロードを行く」

シルクロードの十字路(1)

2004/05/01更新

 シルクロードは東西交易路として、又東西文化のかけ橋として2000年もの長い間、その役柄を果たして来た事は、シルクロードを語る上で大切な事であるという事は言うまでもありませんが、ここでもう一つ見落としてならない重要な事がある様です。
それは、このシルクロードによって素晴らしい恩恵をもたらされた民族と、逆にシルクロードによって史上他に余り類が見られない苦悩を背負わなければならなかった民族があったということです。即ち、それは私達日本民族にとっても、文化の面は勿論の事ですが、思想的にも素晴らしい影響を与えた仏教伝来、シルクロード、即ち仏教東漸の道という事、そしてもう一つは、シルクロードの十字路という交通の要衝に位置した国、アフガニスタンが、その為に背負わなければならなかった苦悩について…。
私はシルクロードの旅を通じて、この二つの明暗について思いを致すことであります。本日はこの明暗の中の暗、即ちアフガニスタンの苦悩についてお話をする事に致したいと思います。


 アジアとヨーロッパを結ぶ東西交易路とインドから北に通ずる交易路が交わる地点、即ちシルクロードの十字路に位置して、アフガニスタンという国があります。
この国は、北はアムール河 (オクサス) を隔てて、ソ連領と国境を接し、東はパミールを越えて、山岳地帯で国境が定かでないまま、中国とインドに交わり、又南東から南にかけては、スレイマン山脈にはばまれて、インドから中央アジアに通じる、唯一の通路として開かれたハイバー峠を経て、パキスタンに通じ、そして西は砂漠地帯でイランと国境を共にしています。
ここは乾燥地帯で4000メートル以上の高山が連立し、一木一草とて生えつかない峨々たる山岳地帯と泥と砂と石ころの混じり合った半砂漠地帯が国土の大部分を占めて、耕地は見つけるのに困難する程少ないのです。アフガニスタンという国は、この様な土地柄で、産物として取り立てて言える物はありません。
強いて言えば、北部のバタクシャン地方にジュルムという名の鉱山があって、紀元前4000年以前 (今から6000年も前) からここにラピス・ラジュリ、日本名で群青 (るり) と呼ばれる、古代から世界的に知られた、エジプトのクレオパトラがこよなく愛したと言われる美しいブルーの宝石が産出致します。而し、このジュルムという鉱山は、5000メートルという高所にあって、作業が困難な為、産出量は極めて少ないのです。
而し、その為にこそ、今日まで6000年もの長い間絶える事なく産出が続いて来たのでしょう。
このラピスという宝石は、十年前までは、ヨーロッパの宝石の研磨と取引の中心地として知られる南ドイツのイーダーオーベルシュタイン、この町はフランクフルトからライン河を渡って、西へ180キロメートル程の処にある町で、我が国の山梨県の甲府と並び称されている宝石の町ですが、この町に運ばれて、ここで加工されて世界各地に再輸出されていましたが、現在では中国が経済援助の見返りとして、反強制的に全て中国が押さえている様です。
その外、山岳地帯には、相当量の天然ガスとその他、鉱物資源が埋蔵されていると言われていますが、何分これとて4000メートルの高山が連立する山岳地帯で、作業が困難であるという事に加えて、国の財政が乏しい為に採掘する資金不足という事もあって、僅かばかりの産出しか見られない様です。
それからアフガニスタンには、遊牧民族が全人口の半数を占めると言われ、その為に羊の遊牧が盛んで、上質の絨毯が織られます。その他、オアシス地帯の砂地に葡萄やメロン、西瓜、ざくろ等の果実がふんだんにとれます。 (これも外貨獲得の為殆ど輸出されていますが) アフガニスタンの果実は実においしいのです。
今はアフガン動乱の為、入国が出来ず、止む無く一時中止を余儀なくされていますが、ソ連のアフガン進駐以前は、私はよくこの果実を車に積み込んで、仏教遺跡を尋ねて、ヒンドウクシュ山脈を越え、北部アフガニスタンを訪れたものです。


 この、北部アフガニスタンの往ゆき復かえりには、必ずサラン峠の茶屋 (チャイハナ) で休み、食事をとる事にしています。
先ず首都のカブールの北部コヒダマン盆地の畠から買って携えた、もぎ立てのメロンや葡萄を石ころでかこって、渓流につける。
水はなにおうヒンドウクシュの雪解けの水です。手がちぎれる程に冷たい。シルクロード沿線の食事はどこに行っても殆ど同じ様なものですが、ここでも先 (1) 主食は何と言ってもナンと呼ばれる未晒しの小麦粉で作った厚さ二センチメートル、大きさは直径20センチメートル位の丸く平ぺったいパンです。
(2) 次にシシカバーブという羊の肉を親指大に切り、太ねぎと交互に金串に刺して炭火で焼いたもの。これをタレにつけて、自分の好みのスパイスを色々混ぜて食べるのですが、このタレに各店の秘伝があるらしい。
(3) 次に副食はシルワつまりスープです。 (4) それからパラウと呼ばれる、羊肉と野菜の入った焼き飯、このパラウはここからヨーロッパに伝えられたもので、ヨーロッパから我が国に来てピラフと呼ばれているらしい。
(5) 五番目はコルマ、煮物です。 (6) パコーラ (天ぷら) 、それからチャイ、お茶ですね。これらにゆで卵とヨーグルトが付いてフルコースです。茶屋 (チャイハナ) では、メニューは大体ナン、シシカバーブ、シルワの三品です。現地の人達は、土間で木製の腰掛けで、ワイワイ、ガヤガヤ…色々の種類のスパイス (赤、白、黄色、ピンク、灰色、茶色等十数種類のスパイス) の中から自分の好みのものを幾つか選んで、これを混ぜ合わせたものを丼の中のタレにたっぷりほうり込んで、これにシシカバーブを混ぜて、手づかみで食べます。
シシカバーブを食べているのか、スパイスをほうばっているのかわかりません。これを見ている方が胃の腑が変になりそうな気がします。
このナン、シシカバーブ、シルワ程度の食事は30~40分もあれば済みます。丁度その頃、清流につけた果物が上がってきます。
程よく冷えてとてもデリシャスです。アフガンのメロンは、大きさが馬の頭ほどでっかくて、肉が厚く、水分が多く、サクサクして甘い。ですから、マトンの嫌いな人は、この果実で充分お腹がくちるというものです。私がシルクロードを旅するのは、一つにはこのメロンや葡萄を食べる楽しみがあるからかもしれません。
その外、ざくろ、梨等も素敵です。兎に角、生水が飲めないシルクロードでは、水の代わりに、この果実が貴重な役割をするのです。
首都のカブールの北部郊外のコヒダマンの平原地帯は、アフガニスタンでも特に、これら果実の名産地として知られ、八月から九月にかけての収穫期になりますと、農家の人々は家族総出で畠に出て働きます。そして道脇の畠には、メロンや西瓜、それに箱詰めされた葡萄が集められて、出荷を待っている光景が至る所見られ、又、これらの果実を山積みしたトラックがひっきりなしに集団で駆け抜けます。おびただしい数のトラックです。
パキスタンやインド向けの輸送車という事です。話が少し脱線致しましたが、ラピス・ラジュリをはじめ、これらの産物で得られる外貨は、国の財政に役立つには程遠いものがある様です。
その為に、アフガニスタンは、常にどこかの国の経済援助によって、国の財政が賄われてきました。例えば国の公共施設の建物は、大抵中国の手によってなったもの、道路はソ連製、軍隊の銃をはじめその他の装備はアメリカ製、兵舎をはじめ公共の建造物は中国の援助によるものと、思えば間違いなさそうです。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。