エッセイ「シルクロードを行く」

ヒンドウクシュ山脈を越えて(3)

2005/02/02更新

 十数段の階段が設けられ、それを上がると、柱廊式のテラスになっている。今は円柱をのせる手のこんだ彫刻がほどこされた台座が、残されているのみであるが、この寺院が、いかに壮麗であったかが窺われる。あちらこちらの雑草の茂みの中にも、半ば埋もれた柱の礎石がある。その形や彫刻は、私達が日常日本で見る寺院の礎石と全く同じである。日本からはるばるこの地に運び込まれたのではないかという錯覚さえ起こる。
実は、建築様式に限らず全ての文化が、この地から仏典や仏像と共に、駱駝の背で流砂を渡って、逆に日本に渡来したのである。ソ連国境のオクサス川を渡って、北へ進むと、ウズベク共和国で、この地方の中心地サマルカンドがあるここのアフラシヤの遺跡から出土した大壁画を私は一昨年ここのミュージアムで見たが、この壁画は、まごうことなき我が国の大和朝の風俗画そのものである。
我々大和民族の祖先の地は、この辺りではなかったのかという思いさえ沸く。立ち去り難い思いを後にして、丘陵を降りる。近くの畠では、一家総出で野良仕事に勢を出している人達の姿が見られる。この地方の女の人は、野良仕事にもチャドリ (イスラムの成年女性が、顔を覆い隠す為に頭からスッポリ被る上っ張りで、目の所だけがメッシュになっているもの) を着用しての作業である。
その煩わしさは、見ていて気の毒なくらいである。風俗・習慣が、いかに人間生活に密着して離れがたいかが、実感として身に染みる。完全に舗装されたハイウェイには、行き合う車とて少なく、時々ベトウィンや遊牧民が、駱駝や羊の群れを連れて移動するのに行き合う。
この辺りは、既に北部アフガンのステップ地帯である。彼方の山麓には、黒い幕舎が見え、羊の群れが草を食み、駱駝が長い首を上下させて、羊の群れを看視するかの様に見える。紺碧の空には雲一つ見えない。マティン君は、やけにアクセルを踏む。メーターは、120から130の間を上下している。「モアースローリー」と言うと、「ノン」と答える。「スピードアップしないと眠気がさすから」と云う。しばらくして、前方に緑に覆われたオアシスが見える。美しく飾り立てたトンガ (乗用馬車) が、リンリンリンとさわやかな鈴の音を響かせながら、これを飾り立て、磨き上げられたサラブレッド種の様な素晴らしい馬に曳かれて走り抜けるのに出会う。
砂漠の町に少しは馴染みのある私には、かなりの町だというのがわかる。「サマンガンか?」と尋ねると、そうだと言う。ここが、有名なサマンガン (昔のアイバク) である。町の南西2キロメートルの所に、大スツーパーで有名な仏教遺跡、タフティ・ロスタム (ロスタムの王座という意味) がある。これは、1959年から1960年にかけて、京大の水野清一博士等が発掘された、紀元400年から500年代の仏教寺院の遺跡である。
細長い土塀の間の埃っぽい道を通り抜け、山道を登る。15分くらいで、大スツーパーのある頂上に辿り着く。ここからの眺望は見事である。はるか東方に、ヒンドウクシュの支脈が走り、その裾野一帯のステップ地帯には、駱駝や羊の群れがのどかに草を食み、このスツーパーのある丘の下一帯は緑に覆われ、美しい川が流れ、まさに楽園そのものである。
スツーパーは、この丘陵の岩壁を切り開いて造られている。ドームの上部には、法輪を取り付ける為のハルミカ (台座) が設けられ、このハルミカには、仏舎利や宝物を入れる聖室が設けられている。
このスツーパーは、磨かれた石灰岩でできており、高さ十メートル、横幅28メートルもあり、2メートル幅の通路が、その周囲を取り囲んでいる。
この通路は、当時修行僧達が、経文を唱えながら、素足でこのスツーパーの周りを何回も巡った経きん行ひんの為の神聖な場所であった。このスツーパーの200メートル程右下に、洞窟の僧院の跡があり、第一の窟院から第五の窟院まである。壁や天上の壁画や彫刻の跡が認められ、創建当時の荘厳さがしのばれる。ここを出て、ハイウェイの両側に、岩壁が300メートル以上切り立ったホルムの峡道を抜けると、タシクルガン (昔のホルム) というバザールの町である。タシクルガンを右へ行くと、150キロメートル程でクンドーズ、左側へ行くとマザーリシャリフです。タシクルガンの古い昔ながらの屋根付きバザールで、ショッピングを楽しみ、道の両サイドに泥で出来た丸屋根のてっぺんに空気穴のついた珍しい民家の立ち並ぶ通りを抜けて、メインストリートに出て、車は目的地マザーリシャリフへ向け出発する。


 タシクルガンを一歩出ると、もうそこはトルキスタン大平原の一大ステップ地帯である。気も遠くなる様な広漠たるステップ地帯が、北々西へ向かってどこまでも続く。砂と泥と石ころの交じり合った大地には、所々に申し訳に、いじけたいばらの様な先のとがった草 (現地では、らくだ草というらしい) が生え、人間共の進入をかたくなに拒んでいるかの様である。
坦々たる平地が、地の果てまでも続き、視野を遮るものとては、空と大地が交わる地平線のみである。ハイウェイは、その中を東から西へ、一直線に貫いて伸びる。私はマティン君に停車を命じ、この大自然の佇まいに、しばし茫然と見とれる。ハイウェイの近くのステップを、ロバにまたがった男が、羊の群れを率いてコトコトと通り過ぎて行く。
その彼方には、荷物を背に駱駝の群れが、訓練された騎馬隊の行進の様に、一糸乱れず一列縦隊で指揮者の後に従って行く。そしていつしか、羊の群れも駱駝の行進も、茫漠たる砂漠の彼方へ消えて行く。
突然、熱風が吹き抜ける。龍巻が起こり、舞い上がりながら走る。1、2、3、4本、5~600メートルも隔てない距離である。あの中に巻き込まれたら一巻の終わりであると、ガイド兼ドライバーのマティン君は、少々こわばった表情をする。
私達はこの危険地帯から一刻も早く遠ざかる為に車上の人となり、たそがれがかった東トルキスタン大平原の中を東西に伸びるハイウェイをマザーリシャリフに向かってスピードを上げる。前方に、黒々とオアシスの防砂林の茂りが見える。間もなく、マザーリシャリフだ。人口4万5000、アフガニスタン第四の都市である。街の中央、ハイウェイの右側に、突然ブルーのモスクが落日に映えて、その偉容を見せる。聖者のモスク、即ちマザーリシャリフだ。
この町の名も、この聖なるモスクに由来する。一瞬、私は現実から離脱し、アラーの神のまします砂漠の果ての天国へ、連れ去られる。茫漠たるステップ地帯を通って来た私に、何故かこのブルーのモスクは、宗教的な安らぎを与える。まして、砂漠の中で苛酷な自然と戦いながら生きねばならないイスラムの人々にとって、このブルーのモスクこそが、救いであり、天国へ至るゲートであろうことを、この時私は確信せずにはいられなかった。このブルーのモスク、マザーリシャリフには、マホメットの息子で、四代目のカリフ (後継者) のハヅラット・アリが眠っている。何がしかの拝観料を払って、靴を脱がせられ素足で境内に入る。
丁度今、何千人もの巡礼者達が日没時の祈りを、メッカの方に向かって捧げている。司祭者と5人の司祭補の朗々たるコーランの詠誦につれて、巡礼者全員によるコーランの大合唱が始まる。まさに、砂漠における精神界の大饗宴である。
聞けば、今日は一年に四回行われるイスラム教の大祭の日であるとの事。やがて大祭が終わり、群衆は立ち去り、このブルーのモスクに静寂が戻る。太陽は、全く砂漠の果てに沈み、茜色の残光が、マザーリシャリフの聖なる白鳩の羽を赤く染め、やがて夕闇の中に、ブルーのモスクの偉容が融けこんでいく……。砂漠の夜空に星が瞬く。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。