エッセイ「シルクロードを行く」

ガンダーラと北伝 (大乗) 仏教(1)

2005/06/07更新

 今回は、インド仏跡巡礼のコースの中に、ガンダーラを入れる事に致しましたが、従来このガンダーラの仏跡巡礼に参加される方は、一部の限られた人達であった様でございます。
その理由は、一般にはこのガンダーラに対する認識が浅かったという事と、一つには地理的にも辺境の地という先入観があった為と考えられますが、幸い私は、昭和45年 (1970年) に仏教東漸の道・シルクロード (仏教がインドからシルクロード沿線のオアシス国家に教線を広めながら、東へ東へと伝わって行った) 、その仏教東漸の道の巡礼を思い立って、その中でこのガンダーラを度々訪れる機会を得まして、この地が私達仏教徒にとりまして大切な聖地であるという事を学ばせて頂き、ガンダーラを訪れる度に益々その感を深くして参りました。


 今回ガンダーラを訪れますにつきまして、折角の仏教巡礼が少しでも意義のあるもの、また、楽しいものであって欲しいという願いから、少しでもお役に立てばと乏しい体験と貧しい知識ではありますが、私の仏教東漸の道・シルクロードの紀行文の中から、ガンダーラについてお話申し上げる事に致しました次第です。


 このガンダーラは、インドの北西部に位置するシルクロード沿線上の古代インドの都市国家の名称でありましたが、ご承知の様に今日ではパキスタンの東北部の一地方の呼び名として使われております。


 このガンダーラ地方は、南東はインダス河に臨み、北西はヒンドウクシュ山脈の支脈に遮られ、北東はカラコルム山系の一番西南の突端の山地に接し、南西は、カブール川の南岸沿いの地域に限られた盆地でありますが、古代から中国・中央アジア、又、イラン・イラク・シリアを通り、トルコを経てギリシャやローマに行くにも、又、反対にこれらの国々からインドに入るに致しましても、必ず通らなければならない重要な交通の要衝で、従いまして、これらの国々の文化とインドの文化が交流し、特にギリシャ (ヘレニズム) の影響を強く受けて、一種独特なガンダーラ仏教文化を生み出しました。


 しかしその反面、交通の要衝であっただけに、色々な異民族の侵略を受けねばならない運命を背負わなければなりませんでした。
早くは紀元前1500年頃アーリア民族の南下以来、アケメネス朝ペルシャ、マケドニアのアレキサンダー大王、マウリア王朝、クシャン朝、ササン朝ペルシャ、サカ族、フン族 (エフタル) 、アラブ、又、中世にはあのモンゴルの青い狼といわれたジンギス汗、中央アジアのビッコの英雄といわれたチムール、そしてインドのムガル王朝の創始者バブル等、数え上げればきりがない程多くの異民族の侵略にさらされ、なかんずく、五~六世紀にかけて寧猛なエフタル (フン族ともいう) の蹂躙に会い、6世紀末には仏教王国ガンダーラの名は歴史上その名を消し去り、その後8世紀頃からしばしば、イスラムを奉ずるアラブの侵攻によって、目ぼしい仏教施設はほとんど破壊され、その後急激にイスラム化されて現在に及びます。
そもそもこのガンダーラが歴史上に姿を現しますのは紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシャのダリウス一世 (在位BC552~486) が首都スーサーを建設した際、その用材として当時ペルシャの属領の一つであった東方のガンダーラから多量の木材を運んだという記録がありますから、かなり早くから開けていたと思われます。
又、多量の木材が切り出される程多くの森林があったのでしょう。
この事から古代のガンダーラは青々とした緑に覆われた美しい都市国家で、その緑の中に白色に輝くスツーパー (仏塔) やヴィハラ (寺院) が点在し、まさに仏国土、ユートピア・ガンダーラの名にふさわしい美しい仏教都市であったろうと思われます。


 私はシルクロードの旅を通じて、宗教はその宗教の生まれ育った風土を抜きにしては語られないという事を思うのです。
キリスト教、特にイスラム教は砂漠の中で生まれ育った砂漠の宗教であり、これら砂漠の宗教は、砂漠の中で厳しい自然と戦いながら、生きねばならない砂漠の民にこそふさわしく、穀倉地帯という温暖な緑の世界で生まれ育った仏教は、穀倉地帯の穏やかな風土の中で生活する住民にこそ最も適応した宗教であるという事を学び得た気が致します。


 このガンダーラに致しましても、数多く書かれた仏伝あるいはジャータカ (仏陀の前生の物語) の舞台として多くこの地が選ばれたという事は、かつてこのガンダーラの緑に覆われた風土が、仏教相応の地であったからではないかと思うのであります。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。