エッセイ「シルクロードを行く」

ガンダーラと北伝 (大乗) 仏教(2)

2005/08/01更新

 色々とお話したい事がありますが、ここでこのガンダーラをこの度の仏教巡礼のコースに選びました主な理由について少しお話申し上げる事に致したいと思います。


 その第一に上げねばならない事は、このガンダーラはガンダーラ仏教美術の発祥の地であり、仏陀の像が人間の姿をとって初めて現れた仏像誕生の地であるという事です。
仏教はインドにおいては古来、仏陀を人間像として、石に刻んだり絵にしたりする事は、仏陀をけがすものとして礼拝せず、大法輪、菩提樹、仏塔、仏足石等を礼拝の対象としていました。
ところが、紀元45年頃、中央アジアのオクサス河の南岸のバクトリヤ地方に起きたクシャン朝が、勢力を伸展し、その第三代カニシカ王の時代には、都をガンダーラのプルシャプラ (現在はペシャワール) に移し、益々隆盛を極める事になりますが、このカニシカ王は自ら、仏教を深く信奉し、仏教の興隆に力を尽くします。
 このカニシカ王による仏教興隆の過程において、クシャン朝の人々は、かつて故郷のバクトリヤにおいて、BC325年アレキサンダー大王が東方遠征の折、ギリシャから連れて来た多くの工人達の中で、この地に残留した者達がギリシャの神々を何の抵抗もなく、人間像として石に刻み、礼拝するのを見て、それに刺激された彼らは、ガンダーラの地において、仏陀を人間像として石に刻み、それを礼拝の対象として拝む様になります。又背光 (円光ともいいますが) 、これもギリシャの神々のシンボルとして使われたヘイロウ (後光) を借りて、仏像の背後につけて仏陀のシンボルと致しました。
 即ち、ガンダーラ仏の出現です。紀元前後1世紀頃といわれています。
この様にガンダーラは、仏像が人間像としてこの世に初めて現れた仏像誕生の地であります。
この様な事で、仏像の古里は、このガンダーラの地であるという事、これは仏教徒にとりまして知っておかねばならない大切な事であろうかと思いますし、今回のガンダーラ仏跡巡礼の目的の一つは、この仏像誕生の地を訪れるという事であります。


 次に、このガンダーラは、スリナガルと共に、2世紀頃には小乗の説一切有部派の根拠地といわれる程に仏教が栄え、多くの高僧方を輩出致しました。そして、これらの高僧方によって、仏教はヒンドウクシュ山脈やパミール高原、カラコルム山脈を越えて、中央アジアや中国に伝えられます。
 又、1~2世紀頃、大乗仏教が興隆すると共に、逆に中国や中央アジアの高僧方が、生命をかけて大乗の法を求めてインドに入られたその唯一の門戸となりました。言ってみれば、ここガンダーラは、北伝仏教、即ち大乗の仏教が中国に伝えられた仏教東漸の道・シルクロードの重要な起点であり、法顕・宗雲・恵生・玄奘・悟空等多くの方々がこの地を訪れておられます。
 ガンダーラが大乗仏教発祥の地といわれる所以もここにあると思われます。
今回皆さんとこの仏教東漸の道の重要な拠点としての大乗の地、ガンダーラを訪れるという事は、私にとりましてはこの上もない喜びであります。


 そして3つ目の理由、これが一番重要な事と思われますが、このガンダーラは宗祖親鸞聖人が、南インドの龍樹 (ナガールジュンナ菩薩) と共に、浄土教の二大菩薩として仰がれた世親 (ヴァスバンヅ菩薩) を生んだ地であるという事を挙げねばならないと思います。
世親菩薩は、初めガンダーラで小乗を学び、大乗を誹謗しましたが、兄の無着 (アサンガ) から北インドのガーグラ川流域の交通の要衝、アヨーディヤ・現在のファイザーバード (クシナーラから北へ180キロメートル) に呼ばれて、大乗を誹謗する罪を正されて忽然としてその非を悟り、その後、この無着の下で大乗を学び、後、大乗の論者としてガンダーラで活躍されました事は、皆様ご承知の通りでございます。
 古代から、ガンダーラの政治経済の中心地ペシャワール (古代のプルシャプラ) の東南1キロメートルの所に、シャージ・キー・デリーと呼ばれる世親菩薩ゆかりの遺跡があります。ここは、カニシカ王の舎利容器が発見されたところとして知られていますが、今はイスラムの墓地になっていて、2~3年前に私が訪れた時には、遺構は荒れるにまかせてありましたが、玄奘の大唐西域記によれば、大塔 (スツーパー) の高さ400尺 (112メートル) 、基壇の高さ150尺 (48メートル) 、計550尺 (160メートル) の石造りの仏塔で、その上に25層の相輪を立て、塔内に舎利一斛こくを収めてあり、基壇の周囲を測ると一里半にも及ぶとあります。壮大なものであったに違いありません。
尚、玄奘三蔵によれば、この大塔の左右の小塔には数百の仏塔が刻まれ、又、大塔の西にヴィハラ (寺院) があり、カニシカ王が建てたもので、何層にもなり、その第三層には、脇尊者のいた部屋があるが、すでに傾いていた。この室の東に古い房舎がある。世親菩薩が阿毘達磨倶舎論を書いた所である。と記しています。


 この様にガンダーラは、世親菩薩が誕生され、長じられて仏道を学ばれた地として忘れてならない大切な聖地であります。
 宗祖は、この世親の親を一字頂かれて自分を親鸞と名乗られた程、世親を敬われ、又その世親菩薩が出られたところとして、このガンダーラに親しんでおられ、正信偈にも「印度西天之論家、中夏日域之高僧」と賛嘆をしておられます。
 この印度西天の西天は中国の西の国という程の意味でしょうが、これは特定の地方名で、ガンダーラを指している言葉と言われています。
それは何故かと言いますと、親鸞聖人にとりましてインド西天の論家とはインド、即ち南インドの論者龍樹と、西天の論者世親菩薩の事に違いありませんから、この西天とは明らかに世親が出られたガンダーラの事でございましょう。
又、この印度西天之論家、中夏日域之高僧と同じ意味の事を教行信証の総序の末尾に結文としてお示しになっておられます。
誠なるかなや、摂取不捨の真言超世希有の正法聞思して遲慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞慶ばしきかな。西番月氏の聖典、東夏日域の師釈遇いがたくして今遇う事を得たり。聞き難くしてすでに聞く事を得たり。真宗の教行証を敬信して、特に如来の御徳の深き事を知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び獲るところを嘆ずるなり。と、お示し下さっております。
この総序のお言葉は、初めから終わりまで一言一句おろそかにできない。そしていつ頂いても、又何回拝読しましても、心に響く御聖教でございますが、この結びの御文もいいですね…。
この中に西番月氏の聖典、東夏日域の師釈とあります。この西番月氏の西番とは、自分の国を中華、東夏と呼んだ誇り高い中国の人が、インドを西の野蛮な国とおとしめて呼んだ言葉で、インドという事。
月氏とは、インド西天のこの西天と同じ意味の言葉で、中国の西の国、その国の名を月がっ氏し、又は月げっ氏し、又は大月氏と言ったのです。その月氏の都が世親を生んだガンダーラであります。
こういう事で、この月氏はガンダーラの事であると言うことがはっきり致します。しかし、歴史上本当はガンダーラを月氏と呼ぶのは適当ではなく、クシャン又は貴霜というのが正しいと思われます。ガンダーラを何故月氏と呼んだのか?これは少し余談になるかと思いますが、シルクロードの仏教を語る上で大切な事でありますので、簡単に触れておく事に致します。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。