エッセイ「シルクロードを行く」

ガンダーラと北伝 (大乗) 仏教(3)

2005/10/01更新

 さて、この月氏というのは、イラン系の遊牧民族の名で大月氏とも呼ばれましたが、この大月氏が秦漢時代に中国の喉っ首に当たる敦煌を中心とした一帯に現れて、タリム盆地のイラン人と中国人との間にあって、中継貿易を行い、莫大な富を得ていました。
丁度これと同じ頃、中国の北辺を脅かしていたモンゴルの匈奴と呼ばれる遊牧騎馬民族、これは中国を初めて統一した秦の始皇帝をして、あの万里の長城を構築せずにはいられぬ程までに、恐怖させた強かな民族で、この匈奴がたまたま漢朝の硬軟合わせた外交政策によって、その鉾先をタリム盆地に向け、この地の支配に乗り出します。そして月氏の中継貿易も合わせて手中に収めようとして、これに戦いを挑み、紀元前176年月氏をこの敦煌地区一帯から遠く西の方へ追っ払ってしまいます。
匈奴に追われた月氏は、一時天山山脈の西北部のイリ地方に住み着こうとしますが、ここも先住の遊牧民族烏孫の支配するところで、止む無く尚も西へ西へと移動し、ようやく中央アジアのソグド地方に辿り着き、ここを永住の地と定めます。


 このソグド地方は、シルダリヤとアムダリヤに挟まれた中央アジアでも一番肥沃な土地といわれる所ですが、月氏はこのソグド地方の先住民を次々に支配下に治め、戸数十万戸、人口40万人の一大国家を建て、そして河南のバクトリヤ (大夏ともいいますが) この地方も勢力下に治め、隆盛を極めます。
その後200年程して、政変が起こり、たまたまバクトリヤ地方の大夏の一部族であった貴霜が台頭し、月氏に代わってクシャン朝を樹立し、河南のバクトリヤは勿論、このアムダリヤとシルダリヤの間の広大な領土と、河南の地をヒンドウクシュ山脈を越え、インダス河を渉り、インドまで勢力を伸ばします。紀元後45年頃の事と言われます。


 その後、クシャン朝第三代、名君の誉れ高いカニシカ王が、中央アジア一帯は勿論の事、ヒンドウクシュ山脈を南に越えて、アフガニスタン、インドの中央部から西北部一帯、そして中国の新彊地区のタリム盆地、遠くはイラン・イラクまでその勢力範囲を広げます。
そして都をガンダーラのプルシャプラ (今のペシャワール) に置き、アショカ王と同じく仏教の大外護者、大パトロンとなり、仏教をインドはもとより、国外にまで広めます。仏教東漸が活発になるのも、このカニシカ王の時代からです。
中国では、この政権交替に気づかず、その後も相変わらず月氏と呼びました。
話が少し横道にはずれた様ですが、こういう事で親鸞聖人も中国の文献にならって、カニシカ王が都を定めたガンダーラを月氏と呼ばれたものと思われます。


 以上ガンダーラと月氏とのかかわりについて、ざっとお話し致しましたが、こうしてお話しをしますと、ガンダーラと私共浄土真宗とは、非常に深いかかわりがあるという事を更めて知らされる思いが致します。又、この事がガンダーラをこの度の仏蹟巡礼のコースに加えました第一の理由でもあります。


 最後に、ガンダーラは仏教美術の宝庫といわれる所でありますから、ここではガンダーラ仏の鑑賞を通じて、古代の仏教に接するという事が一つのテーマになると思いますので、このガンダーラでは、博物館の見学はかかせません。
それで、博物館での仏像をはじめ、展示品の見学について、一寸ヒントを申し上げておきます。
それは、仏菩薩の印相を基本になるものだけでも知っておく事と、その御尊像が出土した主な仏蹟の名と場所を地図の上で調べておきますと、博物館の見学が大変楽しみになります。
詳しい説明は現地で専門の方にお願いするはずですが、その話を興味深く楽しく聞くために、以上のことを予備知識として知っておかれると、お役に立つと思います。
尚、ガンダーラを中心とした仏蹟についての地図を用意致しましたので、ご参照下さい。以上まとまりのない話になりましたが、ガンダーラについての私の話を終わらせて頂きます。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。