エッセイ「シルクロードを行く」

トロイの遺蹟に立って(イスタンブール)

2005/12/01更新

イスタンブール

 シルクロードを中国の長安 (今の西安) から真っすぐに西へ西へと何処までも進めば、アジア大陸がボスポラス海峡にはばまれて、ヨーロッパ大陸と相対する所に、人口約300万、トルコ第一の大都会イスタンブールがあります。
チュルクというモンゴールからの移住民族のトルコ系であるアジア人種が、ヨーロッパ大陸に都市を築いている為に、このイスタンブールは、ヨーロッパ風ともつかず、又オリエント風ともいえない一種独特の趣を持ち、女性もただ美しいというだけでなく、何か幻想的な雰囲気を全身に漂わせています。いやもう一つ言えば、イスタンブールの街全体が幻想的な雰囲気に包まれているのです。


 私はこのイスタンブールのトプカプ宮殿、現在は国立博物館になっていて、ヨーロッパとオリエントのエキゾチックな逸品が色々と展示されていて、見るべきものが多いのですが、特に宝石のコレクションが (多分、分捕り品が多いと思うのですが) 見事なものばかりで、ダイア、ルビー、サファイア、エメラルドを始め、多くの宝石類が、わんさか展示されています。
中でも700カラットはあろうかと思われるスクウェアカットされ、磨き上げられた、鶏の卵程のエメラルドには、ただ驚きです。
日本では、一流の宝石商で通る友人達と、このミュージアムを訪れた事がありますが、皆驚きの為、息を呑むばかりで、ここに来ると自分達が扱っている宝石があまりにもチャチで、とてもじゃない、大きな声では恥ずかしくて、宝石商なんて言えた柄ではないとぼやいていた事を思い出しますが、このミュージアムの裏手が、ボスポラス海峡が一望の中に見渡せる素晴らしい展望台になっていて、そこに屋外レストランがあって、ビーチパラソルのついたテーブルが並べられ、ミュージアムの見学に疲れた体を休めるのに恰好の場所となりますので、私はこのミュージアムを訪れた時は、決まってこのビーチパラソルの下で飲み物か軽食をとる事にしています。
いつでしたか、たまたまこのレストランで、30才くらいの現地の方で、一見して中流以上と見られる御夫妻と同席になりまして、片言交じりの会話の中で、何となく親しくなり、その日は夕方までイスタンブールの見所をあちらこちら行を共に致しましたが、その奥方が又、幻想的な雰囲気に包まれた典型的なイスタンブール美人で、今でも忘れ難い一人になっております。私は1970年の8月から9月にかけて、このイスタンブールを起点に、トルコ古代の文明の遺蹟を尋ねてトルコ周遊のツアーに参加致しましたが、先ずパキスタン航空で成田を飛び立ち、給油の為パキスタンのカラチに立ち寄りましたが、このカラチで飛行機のエンジントラブルのために、出発が十時間も遅れ、イスタンブールに到着したのが、予定時刻の午後2時30分が、夜中の一時近くになっていました。
ホテルに入るとスケジュールが壊れますので、止む無く飛行場からそのままバスで、真暗い深夜のマルマラ街道を南下し、エーゲ海沿岸に向かう事になりました。ここは昼間ですと、右手は広々としたなだらかな丘陵地帯で、牧草が青々と生えて、羊の群れがのんびり草を食んでいる長閑な光景が広がり、左手はマルマラ海沿岸のリゾート地帯で、瀟洒なホテルやレストラン、それに色とりどりの海辺の施設等が点在し、旅人の目を楽しませてくれるのですが、今は真夜中の暗闇がそれら一切の物を覆い隠し、車はその暗黒のとばりの中をひた走りに走ります。


 4時間くらいで、エチェアバッドというフェリーの発着する小さな港に到着しました。ガイドの説明では、このエチェアバッド地区は、かつて1920年~22年にかけてのトルコ戦争で、ギリシャ軍が、トルコのエーゲ海沿岸第一の大都会、イズミールに上陸作戦を行った時、それを援護する為、英仏連合軍がこの地に侵行して来たのを、ケマル・アタ・チュルク、トルコの父、我らのケマルという程の意味でしょうが、彼の指揮する義勇軍が英仏連合軍を一兵残さず殲滅させた所で、トルコにとって歴史上忘れられない、記念すべき所だとガイドが誇らしげに語っていました。
30分程、チャイハナ (茶屋) でティータイムを取り、やがてダーダネルス海峡を渡る六時発の第一便のフェリーに乗り込み、ヨーロッパ大陸を離れてアジア大陸に向かうのです。こう言いますと大層に聞こえますが、ダーダネルス海峡は、僅か12~3分で渡れる幅700~800メートルの狭い海峡です。と言いましても広い所は4~50000メートルもありますが、ここら辺りは丁度海峡の喉首に当たる所で狭く、アッという間に渡ってしまい、対岸のチャナッカレという人口2万5000人くらいの港町に着きます。


 ここら辺りから、もうエーゲ海のリゾート地帯に入りますので、海の色がややグリーンがかった、身に染みる様な澄み切ったブルーに変わり、俄然美しくなります。エーゲ海の海の色ってどうしてあんなに素晴らしいのでしょう。あのアクアマリン (海水青色) という宝石の名は、まさにこのエーゲの海の色からつけられたのでしょう。最高のアクアマリンを手に入れたい方は、このエーゲの海を一日中じっと見つめて、その色をしっかり脳裏に焼き付けて、そのまま宝石店に駆け込み、この脳裏に焼き付いた色と全く同じ色のアクアマリンを選べば、それが世界最高のアクアマリンという事になります…が、お値段の方も目の玉が飛び出る程高い事を覚悟しなければならない様です。
兎に角、エーゲの海の色は素晴らしいですね。若いお嬢さん方が、エーゲ海に憧れる気持ちがわかる様な気が致します。インテペという地区の海岸のホテルに入って朝食を取り、午前中は休養を取って、昨日からのハードスケジュールの疲れを癒す事になりました。
ホテルのベッドで横になる者、海辺を散策する者、海に浸かる者、このツアーは、絵の先生のグループが中心でしたので、スケッチをする人達等、皆思い思いに休息する事になりました。私がカメラをかついで海岸に降りると、京都の中井という先生がスケッチをしておられて、「おもろいものが見られまっせ。貴方さんのそのでっかいズームレンズでものにしてみやはったら」と言います。言われる方を見ると成る程、若いトルコの美女が裸同然の姿で、甲羅干しをしています。
隠し撮りは私の性に合いませんので、出て行って、”ExcuseMeTakeAPicture,OK?”と指を一本立てると、OKの印の笑顔が返って来ました。こうなるとしめたもので、色々ポーズを取ってもらい、5、6枚写真を撮り終わって、ヒョイと後ろを見ると、いつの間にかグループの連中が集まっていて、「自分だけいい事をしてあきまへんでー」とワイワイガヤガヤひとしきり騒がしい事。
このトルコでは以前にも、あれは…確か私が初めてイスタンブールを訪れた時だったと思いますが、イスタンブールの対岸にある、ウシュクダルという地区のリゾート地帯で、海水浴ができる砂浜がありますが、ここからのイスタンブールの夕景色が素晴らしいというので、カメラを担いで出かけました。
入陽は太陽が稜線にかかる僅かな時間を狙わないといい作品はできませんので、いつもかなりの時間を待つ事になります。
この時も、砂浜に腰を降ろして、シャッターチャンスを待つ間に、辺りは段々黄昏始める…。とそこにビーチウェアを着た三人の女の子が砂浜に降り立って、私の横で、その身に着けていたビーチウェアをスッと足元に脱ぎ捨てました。アッと私は息を呑みました。裸、娘達は何一つ身に着けていない…、生まれた時のままの姿です…。一寸恥じらいを見せて、砂の上に足跡をこしらえながら、海の方に急ぎ足で歩いて行き、戯れながら海に入りました。水に濡れたトルコ女性特有の豊満な女体が、真っ赤な太陽の逆光を浴びて、黄金色に輝く波濤の中で奔放に躍動する姿が、ギリシャ神話の中の海の妖精、セイレーンと見まごうばかりです。
その光景に見ほれて、しばし茫然として、写真を写す事も忘れてしまって、後でひどく後悔した事がありますが、その時の情景が今でも私の脳裏に貼り付いて離れません。
こういう事もありまして、トルコって良い所ですね…。午後は昼食を済ませてから、このホテルから30キロメートルくらいの、ヒッサリク (丘という意味) という丘の上にあるトロイの遺蹟の見学に行く事になりました。
ここからトルコ古代文明の遺蹟探訪の第一歩が始まるのです。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。