エッセイ「シルクロードを行く」

トロイの遺蹟に立って(ハインリッヒ・シュリーマン、トロイ物語の幻想)

2006/07/01更新

ハインリッヒ・シュリーマン

 さて、私は、このトロイアのヘレネについて、いかにも歴史上の実在の人としてお話しましたが、これはご承知の様にギリシャ神話なのです。
色々と多くの人々によって、語られてきた物語りを紀元前8世紀頃の詩人、ホメーロスによって、叙事詩として纏め上げられたものと言われます。
人々は、だから長い間これを全くの御伽噺の様なものだと思っていたのですが、19世紀になって、風変わりな人間が現れ、この神話の世界に大きな波紋を巻き起こしました。彼の名はハインリッヒ・シュリーマン、ドイツ人です。彼は子供の頃読んだギリシャ神話が忘れられず、どうしてもこの話が伝説とは思えなくなってしまったのです。
これがシュリーマンにとって一生消える事のない夢となったトロイア物語の中の落城のシーンの挿絵です。これを見て、シュリーマン少年は父親に向かって、「どうして大人達はトロイアの遺蹟を発掘しないのだろう。僕が大人になったら、きっとトロイアの遺蹟から宝物を掘り出してみせる」と言ったという。
シュリーマンの家は子供の頃ひどく貧乏でしたので、あちらこちら小僧に出され、散々苦労しますが、彼の才能に加えて、彼の不屈不撓の精神によって、彼は大金持ちになります。
だがしかし、彼は少年の日の夢が忘れられず、46才の時、彼の実業家としての生活を精算して、一切の商取引を止めてしまい、トロイアの発掘にかかります。まだ人々が、ホメーロスの詩の世界をただの伝説だと考えていた頃、シュリーマンはこれを実在の世界であると信じ、1871年、ヒッサリクの丘に発掘の鍬を入れました。この地形を選んだのは、その地形がホメーロスの詩に歌われたトロイの地に、ピッタリであると彼が信じたからです。
狂人扱いにされながら、人夫を常時100人余りも雇い入れ、多額の金をつぎ込んで、ギリシャ人の妻ソフィーアと2人で必死になって、ヒッサリクの丘を掘りまくります。
そして彼はついにトロイの遺蹟を探し当てます。彼は考古学上、貴重なトロイアの遺構とトロイアの莫大な財宝を発掘するのです。
その劇的な瞬間は、1873年6月14日の事でした。彼が、いつも通り、現場を見回っていると、とある穴の中にキラッときらめく黄金色の物体が目に入りました。
そうっと探ってみると、それが何と、彼が一生をかけて探し求めて止まなかった、黄金で出来たおびただしい財宝ではありませんか。そこでシュリーマンは、奥さんに命じて、人夫達に「今日は都合で仕事は中止するから、全員家に帰る様に」と言わせ、人夫達を帰した後、2人でトロイアの財宝を掘り出す訳です。
そうっとテントに持ち帰り、極秘裏にギリシャに持ち出します。更に彼は、ギリシャ軍の総大将アガメムノンの居城の跡と言われるミュケーナイを発掘し、ここからもおびただしい財宝を発見したのです。
こうして神話の中のトロイアはシュリーマンによって、歴史上実在したヒッサリクの丘という事が実証されたのです。私は今、そのヒッサリクの丘、トロイアの遺蹟に立っています。


トロイ物語の幻想

 このヒッサリクの丘に立てば、ホメーロスの叙事詩が私を紀元前1500年代の幻想の世界にいざない、トロイ戦争に登場する人々が、次から次へと走馬灯のように現れては消え、消えては現れる…。
眼下に広がる平原では、ギリシャ軍とトロイの軍勢との壮絶な白兵戦が展開され、両軍の将兵達の青銅造りの刀槍や甲胄の飾りが、チカチカと光り、雄叫びが揚がる。城門に目をやれば、プリアモスの第一王子ヘクトウルが、敵の猛将アキレウスに決死の勝負を挑む為に、妻子に別れも告げず、その城門から討って出ようとする。と、その妻アンドロマケは愛し子を胸に、城壁の中で待ち受け、愛しい夫プリアモスに駆け寄り、「この愛し子と私の為に、砦から討って出る事を止めて下さい。砦の中で戦いの指揮をなさりませ。私の側から離れずに済む様に…。」と泣きながら口説き、取りすがる。
ホメーロスの詩、イーリアスの中でも、ここからが一番クライマックスの場面が展開されるのです。
トロイの第一王子ヘクトウルは、妻の口説を振り切って、敵将アキレウスとの一騎打ちの勝負の為に平原への坂道をかけ下がって行く。そしてアキレウスに討たれ、トロイ王子としての栄誉を担って、見事に死んでいく。
無残な息子の討死を聞いたトロイアの老王プリアモスは、息子の遺骸を莫大な財宝と引き替えに返してくれと息子を死に追いやった敵将アキレウスに泣きすがる。悲惨な情景が私の脳裏を嵐の如く翔け巡る…。
我に返ると、眼下に広がる平原には、修羅の場面が消えて、綿畠で立ち働く色とりどりのトルコの衣装をまとった農家の女達の立ち働く長閑な光景がありました。
私は立ち去り難い思いにかられながら、振り返り振り返り、ヒッサリクの丘を後に、次の目的地ベルガモンに向けて車を走らせました。


※この文章は昭和60年頃に行った卓話をもとに作成したものです。